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生まれる前はどこに居たのだろう。
この世に生まれること、そして、この世に存在していることが、
子供の頃、大変不思議で仕方がありませんでした。
なぜ生まれてきたのだろう。
そんな疑問からどうしても逃れることができませんでした。
でもそんなこと、人には聞けませんでした。
馬鹿にされそうだと思っていたからです。
生まれた訳を探すため、種々なる書物を読みあさるようになりました。
ある日、ふと私なりの回答を得ました。
その回答とは、・・・本来、私という個性(本来の私自身)は、
この世(3次元)における肉体をまとった人間ではなく、
生まれる以前はこの世(3次元)とは違う世界に存在していたのだとの
思いにいたりました。
そして、生まれる前に居た世界は、悩みも苦しみも無い、
善意に満ちた平和な世界だったのだとの思いになったのです。
そして、この世(3次元)の寿命が終わったなら(肉体が滅びたら)、
生まれる前に居た平和な故郷へ帰って行くのです。
現在、私はこの世(3次元)で生活するための手段として、
肉体をまとっているのです。
この世の荒波から本来の私自身を保護するために
肉体というよろいをまとって生きているのです。
肉体を持っているが故に、衣 食 住 が必要になり、
四苦八苦していることになります。肉体があるが故に、種々なる欲望や、
悩みも生じてくるのです。
本来いた世界からみれば大変窮屈な世の中です。こんな窮屈なところへ、
なぜ生まれてきたのでしょう。
その答えは、本来の私自身を鍛えるために生まれてきたのです。
今現在、この世(3次元)で生活しているのは修行なのです。
仮の生活なのです。
生まれることを決断したのは私自身です。
生まれる前に、父と母に、
親になっていただくようお願いをして生まれてきたのです。
親が勝手に生んだのでは無いのです。
私がお願いして生まれてきたのです。両親には感謝しています。
このような話をしますと、訳のわからない可笑しなことを言う変人だと
思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、
私にはどうしてもそのように思えてならないのです。
そのように考えますと、
一般的に悩みと思われる事柄も悩みでは無くなるのです。
困難や、悩みや苦しみと思われる事象が現れても、
私自身を鍛えるチャンスだ、私に与えられた課題なのだと思えるのです。
この与えられた課題に、どのように取り組むべきか、
どのようにして解決すべきか、じっくりと、腰をすえて考えようと思うのです。
今もこうして、この文章をしたためているだけで、心温まる幸せ感で一杯です。
この思いを皆さんにお伝えできるという喜びが私を幸せにしています。
生まれる意味について、私見を述べさせていただきました。
私は幸せに生まれたと思っています。
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